わさび漬は宝暦時代(1751~1763年)に開発されたと言われています。 安倍川上流のワサビの産地では、ワサビの茎(葉柄)をぬか味噌漬にした自家製の漬物を食卓にのせていました。 この地に味噌や醤油の行商のために出入りしていた行商人が、この漬物の種々工夫して、塩漬けした細断ワサビに酒粕を混ぜることを考案しました。 さらに商品化して、『わさび漬』と命名して販売したのが始まりと言われています。
田丸屋本店の名が、全国へと広まったのは、明治二十二年。東海道本線が開通した直後のことです。明治八年から、静岡市新通りに漬物屋を開業していた、田丸屋初代望月虎吉は、文明開化の先端を行く陸蒸気に着目し、幾多の苦労を重ねた末に、静岡駅構内でのわさび漬販売権を獲得したのです。そして、それまでの大八車によるわさび漬の計り売りをやめ、サワラで造った丸い円形の化粧樽にわさび漬を詰め、列車の窓から旅人に売り込むという、新しい販売スタイルを試みました。
このユニークな「樽詰めわさび漬」は旅人たちに大好評を博し、「静岡名産田丸屋のわさび漬」の名は、たちまち全国に広まったのです。以来百年余り。田丸屋のわさび漬けは、静岡大火や戦災などいくつもの危機を乗り越え、その味わい、品質ともに、全国に誇れるトップブランドへと成長を遂げました。一億総グルメと言われる豊かな現代においても、本物のおいしさを伝える、日本ならではの香辛料“わさび”の人気、そしてわさび漬の人気は、今後ますます広がっていくでしょう。
食品のワサビの栽培は、慶長年間(1596~1615年)に駿河(現静岡市)安倍川上流の有東木(うとうぎ)村で始まったと言われます。 有東木の村民が、山葵山と呼ぶ山の渓谷一面に自生しているワサビを採集して、井戸頭の湧水に移植して試験栽培したと伝えられています。思いのほか順調に生長繁殖したので、村民たちは谷川の水を引いて小規模な栽培を行うようになったといいます。背景には室町時代にワサビが寒汁の実など一般庶民の食材として普及したこと、またワサビと相性の良い海水魚が食べられるようになったことなどがあると思われますが、まだ自家用程度の規模であったと推測されます。ワサビの栽培に成功してから約100年後の有東木の記録では、元禄16年(1703年)および享保5年(1702)年の2回にわたる大洪水により、ワサビ田が全部流出したばかりか、全戸数28戸のうち4戸が流出してしまったと伝えており、当時すでにワサビ田としてあげられるほど盛んになっていたと考えられます。